2025年7月25日テレビ朝日系(21:00)放送の「ミュージックステーション」に出演した宮沢和史(みやざわ・かずふみ)さん。
THE BOOMのボーカリストで「島唄」という曲でミリオンヒットを記録したことが記憶にある方もいらっしゃると思います。
そんな彼が実は山梨県出身だったとご存じの方はどのくらいいるでしょうか。
この記事では、山梨県出身の宮沢和史さんが、どうして沖縄で島唄を唄ったのか、検証していきます。
宮沢和史のプロフィール
まず前提知識として、宮沢和史さんの基本情報をまとめていきます。

引用元:OurAge
基本情報
- 生年月日:1966年1月18日(山梨県甲府市出身)
- 身長:171㎝
- 血液型:O型
- 学歴:明治大学経営学部卒業
音楽活動
- 1986年:バンド「THE BOOM)を結成
- 1989年:「君はTVっ子」でメジャーデビュー
- 代表曲:「島唄」「風になりたい」など
- 2014年:THE BOOM解散後、ソロ活動へ
- 多国籍バンド「GANGA ZUMBA」でも活動
- 2024年:デビュー35周年を迎え、アルバム『~35~』をリリース
宮沢和史さんが沖縄で島唄を歌った理由
1. 音楽的探求から始まった沖縄との出会い
山梨県甲府市出身の宮沢和史さんは、THE BOOMのボーカリストとして活動する中で、”借り物”の西洋音楽ではない独自の音を探していました。1986年のバンド結成後、音楽家として日本の音楽的ルーツを模索する中で、沖縄民謡に興味を持つようになりました。
2. 沖縄戦の歴史を知った衝撃的体験
1991年冬の転機
- 琉球音階の曲を作るため初めて沖縄を訪問
- ひめゆり平和祈念資料館で沖縄戦の実情を知る
- ひめゆり学徒隊の生存者である女性から戦争の体験談を聞く
- 学徒動員された女性の手記を読み、深い衝撃を受ける
「沖縄戦を知らなかった自分が恥ずかしく、格好悪く感じた」
引用元:沖縄タイムス
3. 「島唄」誕生の背景
鎮魂の歌を作る決意
- 心が沸騰し、「僕は歌を書くことしかできない」と考える
- アンケートに鎮魂の歌を作る決意を書き込む
- 多くの人の耳に届きやすいよう、直接的な戦争描写ではなく男女の恋愛として表現
歌詞に込められた深い意味
「ウージの森であなたと出会い ウージの下で千代にさよなら」という歌詞は、実は沖縄戦で犠牲になった人々への鎮魂の思いが込められています。資料館近くのガマ(洞窟)を訪れた記憶が基になっており、「数メートルを隔てたコントラストは天国と地獄のようだった」と表現しています。
4. 「借り」という意識
宮沢さんは「沖縄には借りがある」と語っています。故郷山梨の富士山麓にはかつて米軍が駐留していましたが、住民の反対運動により沖縄に移駐したという歴史があります。これは「山梨の人が沖縄に謝るべき」という意味ではなく、沖縄の歴史や基地問題を知り、何ができるかを考えてほしいというメッセージです。
5. 30年間歌い続ける理由
「島唄」は1992年のリリースから30年間歌い続けられており、宮沢さんは「沖縄の人が望む平和が訪れれば島唄は歌う必要がない歌になる」と語っています。その日が来ることを願いながら歌い続けているのです。
まとめ
宮沢和史さんが山梨県出身でありながら沖縄で「島唄」を歌ったのは、音楽的探求から始まった沖縄民謡への関心が、沖縄戦の歴史を知る衝撃的体験へと発展し、平和への願いと鎮魂の思いを音楽で表現したいという強い使命感に昇華したからとかんがえられます。
地理的な出身地を超えて、音楽家としての社会的責任と人間としての良心が彼を沖縄に導いたといえるでしょう。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。